環境、働き方、夢、ライフスタイル、手に入れたい自分にとっての宝物。
決して平らではないけど、掴むために進んできたそれぞれの道。

環境、働き方、夢、ライフスタイル、
手に入れたい自分にとっての宝物。
決して平らではないけど、
掴むために進んできたそれぞれの道。

環境、働き方、夢、ライフスタイル、手に入れたい自分にとっての宝物。
決して平らではないけど、掴むために進んできたそれぞれの道。

環境、働き方、夢、ライフスタイル、
手に入れたい自分にとっての宝物。
決して平らではないけど、
掴むために進んできたそれぞれの道。

INTERVIEW

CASE 01

株式会社アイエンター
KITAMI BASEコミュニティマネージャー

西村 貴子

株式会社アイエンター
KITAMI BASEコミュニティマネージャー

西村 貴子

私、なんでもやりたがりなんです。やりたいことをやるためには努力がいると思っていて、できる努力はしたい。2020年に東京から北見に移住してきたことも、そのひとつだったかもしれません。東京での暮らしだからできたこともありますが、東日本大震災を経験したことをきっかけに「こういう時、すぐに子どもたちの元に駆け付けられるのかな」という気持ちが芽生えて、身を置く環境を本格的に考え始めました。まずは、どこでも働けるよう会計のスキルを身に着けるため、会計事務所で働き始めました。当時勤務していた会社にテレワーク制度はありませんでしたが、会社と話し合いを重ねていくうちに理解が得られ、体制を整えることができたので、移住が叶いました。 北見では、家や子どもたちの通う学校から、車で5分くらいの近い距離の職場で働くことができました。フルリモートなので、家でも仕事ができたのですが、地域の働く人とコミュニケーションを取りたいという気持ちがあって、KITAMI BASEの前身のコワーキングスペースを利用することにしました。

そこでは、同じくテレワークで働く人や、地元の会社や個人事業主など、色々な業種の人が繋がりをもって仕事をしていました。東京だと街にいるだけで出会いや予想しないコミュニケーションがあるけど、地方だと車社会で、予期せぬ出会いってあんまりないなって思っていて、時が経つにつれ、それを作る側に興味が湧いてきました。そう思っていたときに、KITAMI BASEにリニューアルしたタイミングで今の会社に声をかけてもらい、コミュニティマネージャーとして働き始めました。
コミュニティを高めていくためには、地方の経済が元気でなきゃ、と思っていて、前職のノウハウを活かして中小企業や個人事業主の会計のサポートをフリーランスで続けています。
これからも、子育てをしながら働いて、自分も豊かな暮らしの中で生きていきたいし、できることなら守っていきたいです。今のスタイル、ものすごくしっくりきているので、しばらく全開でやっていきます。

CASE 02

株式会社テレワークマネジメント 代表取締役
株式会社ワイズスタッフ 代表取締役

田澤 由利

株式会社テレワークマネジメント 代表取締役
株式会社ワイズスタッフ 代表取締役

田澤 由利

今でこそ一般的になったテレワークですが、私が北見市に来た1997年頃は、世間ではほとんど認知されない働き方でした。そんな私がテレワークの普及・推進を仕事にしたのは、夫の転勤で会社を退職したことがきっかけ。毎日会社に通わなくても、離れたところに住んでいても、自宅で仕事ができれば会社を辞めなくても良かったのではないか。しかし、当時は在宅勤務ができる会社はありません。私は会社に所属せず、個人事業主として仕事を続けるしかありませんでした。当時の女性は出産や子育てを理由に仕事を諦めて会社を辞めざるを得ない人が多く、周りには「私も田澤さんみたいになりたい」という女性がたくさんいました。 そんな声に応えつつ、日本の働き方を変えたいと思い、全国の個人事業主と一緒に仕事をする会社、ワイズスタッフを北見で立ち上げました。10年間で約150人とテレワークで仕事をする会社になりましたが、限界も感じました。日本の働き手の9割は会社員であり、世の中を変えるには企業を変えていかなければ。

その思いから、テレワークマネジメントを2008年に設立したのです。そして2020年、新型コロナウイルスをきっかけに多くの企業がテレワークを導入し、自宅で働く人が増えました。しかし、コロナの収束が近づくと「出社に戻る」企業も少なくありません。「テレワークだとコミュニケーションがとりにくい」「テレワークだとサボる社員がいる」、テレワークだと仕事が進まない、というのが理由です。しかし、ツールの導入やルールの運用、社員の意識で、これらの課題は解決できます。 テレワークがあたり前の日本にするためには、企業が制度や環境を整備することはもちろん、働く側も「テレワークでしっかり働く」ことが重要です。 私も気づけば北見での暮らしが人生で一番長くなっていました。起業や子育て、親の介護など、いろんなことがありましたが、テレワークのおかげで乗り越えることができました。やりたい仕事をしつつ、好きな場所で暮らせて、本当に幸せな人生です。そして、その大切な舞台が、北見なのです。

CASE 03

株式会社ロジカル 代表取締役

西野 寛明

株式会社ロジカル 代表取締役

西野 寛明

もともと北見出身で、就職して東京の証券会社に入ったんですが、毎日満員電車に乗って早朝から働いて、ものすごいスピードで優秀な人たちがしのぎを削っている、都会の大きな会社が全然自分に合わないなと感じるようになりました。ちょうどMBAを取得するために入っていた大学院を卒業するタイミングで、勤め先の会長であり大学院の学長でもある方から「世の中の役に立つことをやりなさい」というお話があって、それなら自分は田舎を良くする仕事をしよう、と思って、北見に帰って来ました。 帰って来て数年間は、田舎には田舎の良さがある、みたいな、都会と田舎の2軸的な考え方をしていたんですが、当然各々の良さがあって、どちらが良いということではないと考えるようになりました。今は、好きなように、自由に仕事や生き方を選んで暮らして行けることが一番大事だと思っています。 オホーツクは豊かな自然環境を前提に日本有数の第一次産業や自然に近い暮らしが実現されている場所です。

サスティナブルが人類のテーマだとしたら、ありのままの自然を基盤に、人が生きる上で必要なたくさんの食料を生産するこのエリアの経済をさらに発展させていくことは、人類が生きる未来、地球の未来をつくることそのものですし、だからこそさらに発展させていく意味があります。それをいろんな人と徹底的に追求していくのが自分の使命だと思っています。それってもはや都会とか田舎とかの話ではなくて、地球の未来とか、人類の未来に直結するようなことを生き方として選んで、その中で暮らしていくという自分1軸の話です。 これまで地元側として参加してきたふるさとテレワーク推進事業や、北見市IoT推進ラボの取組も、オホーツクという極めて自然なエリアで、デジタルの力を使いながらたくさんの人が自分の本当にやりたい仕事や叶えたい生き方や暮らしを実現させて、さらに経済が発展していく、そしてたくさんの人がそのサイクルの中で大活躍して、各々の生き方と地域経済が最高になっていく、そんなことを、これからもやっていきたいです。

CASE 04

株式会社アイエンター
KiT CURLING CLUB キャプテン

平田 洸介

株式会社アイエンター
KiT CURLING CLUB キャプテン

平田 洸介​

僕は、2018年に「SC軽井沢クラブ」の一員として平昌冬季五輪に参加しました。五輪に参加したからこそ、地元である北見発での五輪出場を叶えたいという気持ちが強くなり、同じ年の4月に北見に戻り、KiT CURLING CLUBを立ち上げました。軽井沢にいた頃は、会社がある渋谷に往復3時間かけて通勤しながら競技をしていて、練習と仕事で精一杯、帰ったら寝るだけの生活でした。北見に戻ってからは、会社のサポートと北見市が整備した環境があって、会社を辞めることなくテレワークを使って、仕事ありきの競技生活を続けられています。時間的な余裕ができてワークライフバランスも良くなりました。僕はこの、競技と仕事のどちらのキャリアも諦めずに両立する、デュアルキャリアを体現していくことをひとつの目標にしています。僕個人やチームで、仕事をしながらアスリートとして結果を残すことで、デュアルキャリアを体現して、おこがましいですけど、同じ境遇の人やこれから世界に飛び出していく選手に目標にしてもらえるようになりたいです。

僕の場合、競技でも仕事でも運よく環境に恵まれて今がある。本当に稀なことだと実感しています。これをたまたま、じゃなくて、北見だけじゃなくて、全国にデュアルキャリアの考え方がもっと浸透して、僕たちのチームと同じような志を持つ仲間や後輩がもっと増えてほしいと思っています。そのためには、社会に出るとき、環境が整っていなくては実現できない。北見に戻ってからは、その環境づくりが個人の大きなミッションです。そのためにも、まずは僕自身が体現していかないと。 2026年ミラノ五輪での金メダルがチームの今の最大の目標で、それをデュアルキャリアで実現していくのをとても大切にしています。僕たちは「スポーツ選手」と「仕事」ですが、仕事と「何か」を本気で取り組んでいる人ってたくさんいると思います。環境に恵まれず、壁があっても僕にとってオホーツクでのテレワークがそうだったように、方法はあるので夢を諦めないでほしいと思います。

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